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Artist 井村健太郎 Imura Kentaro

井村健太郎

INTERVIEWインタビュー

形あるものには魂が宿る。
デジタルの中にもそういうものが宿っているんじゃないかなぁと。


重なり合う無数の花。淡く温かな色の光に戯れる蝶々。
井村さんの作品を見ていると、まるで色のついた夢をみているような感覚に襲われる。
 
 
「色彩感覚は昔から褒められていたんです。天性のものがあるって。
子どものころマンションの最上階に住んでいて、大阪の街のネオンの色がとても綺麗だなと思っていたんですよね。そんなこともあるのかもしれない。あるいは家に画集がたくさんあって飽きずに眺めていたんです。それに影響されたのかもしれません。ルドンやシャガールなど好きでしたしね」

 
 
作品には、楮紙、典具帖紙、雲母など日本画の画材を使う。
 
 
「子どものころから日本画が好きで、大学で日本画の専攻を志望していました。作品を日本画って言われるととても嬉しいです。でも、自分では積極的に日本画とは言っていません。伝統的な日本画材でないと日本画にあらずという人もいるので。ジャパニーズコンテンポラリーペインティングって言ってみたりもしています」
 
 
日本の伝統的な画材を使い、そこにデジタル技術を駆使して見事な調和を生み出す…それが井村さんのスタイル。
近年追及しているのは、花と動物のコラボレーション。
幻想的な色彩の花園に生命が潜む。
 
 
「一部の作品では“オートマティスム”という手法を使っています。この手法をヒントにして現代の感性に合うように自分なりの解釈を加えて続けてみることにしました。シュールレアリスムを日本に広めたことで知られる瀧口修造(※注1)が追求した創作理念です。他にもイヴ・タンギー、ダリ、マックス・エルンスト他にもシュルレアリスムの提唱者として著名なアンドレ・ブルトン等に大きな感銘を受けてきました。
描き溜めた大量の花のスケッチをデジタルで重ねると、その中に偶然動物の模様が見えるんです。羊とか、鹿とか、蝶とか。その模様を発見するのに1か月くらいかかっちゃったりするんですけれど。
見ようとしても見えるものではないんです。客観的に見えるようになるまで、絵をアトリエに置きっぱなしにしていると、あるときふと見えるんです。あ、見えた…って。ひとたび見え始めるともうそれにしか見えなくなるんです」

 
 
オートマティスムとは、フランスのシュールレアリスム運動のなかで提唱された、意識の介在を無しに偶然の要素を利用して、意識下のイメージや連想を引き出そうとする手法のこと。
 
 
「形あるものには魂が宿るという考えが昔からありますよね。日本でも八百万の神とか。もしかしたらデジタルの中にもそういうものが宿っているんじゃないかなぁと。宿っている魂…生物を暴き出す。そういう考えって昔からあると思うんですよ。太古からのプリミティブな感情なんじゃないかなぁって」
 
 


 
 
井村さんが手がける作品は想像以上に工程が多い。アナログで生み出したものを一旦デジタル化し、またアナログに戻す。
 
 
「まず、画用紙に鉛筆で花の絵をスケッチします。その大量の花の絵をスマートフォンのカメラで1枚ずつ撮影しデータとして取り込み、デジタル上で何層にも重ね合わせ色をつけて出力。それを和紙にプリントするんです。その上に楮(こうぞ)を漉いた薄い和紙、典具帖紙(てんぐじょうし)(※注2)を一枚貼ります。そして、多層化することにより偶然にできた模様の中に生物を見つけて、命を吹き込むように加筆し色を載せるんです。
典具帖紙は透き通るほど薄い和紙なので、画面の邪魔にならずに保護することが出来て、かつ、その上に絵の具を塗ったときに載り易くなるんです。
この技法はツイッターなどで公開しているので、若い方が真似してやってくれて少しずつ広まっていったらいいなぁと思っています」

 
 
大阪府出身、現在富山県で創作活動を続ける井村さん。
画家デビューは30代に入ってからだが、画家になりたいという夢は子どもの頃から持っていた。
 
 
「子どものころ、いっぱい夢がありました。画家のほかにも、例えばお医者さんになりたいとか。スポーツをしていて捻挫したときに、治してもらってカッコいいなと…。色んな夢が湧いては消えていったのですが、最後まで残っていたのは画家でした。
きっかけは覚えていないのですが3歳のころから絵を習っていました。家の向かいに画家の先生が住んでいて週に一度通っていました。結構しっかりと基礎を教えてもらっていたんです。
熱中していましたね。何時間でも描き続けて、教室から家に帰らない子どもでした。そろそろ帰りなさいと言われるまで描いていました」

 
 


 
 
実は井村さんが子ども時代に過ごした大阪府豊中市は漫画の盛んな街でもある。井村さんも漫画部に入っていたが…
 
 
「(豊中市は)有名な宝塚市の隣の街です。手塚治虫さんの出身地だったということもあって、昔から漫画が盛んでした。学校には漫画部もありました。読む方ではなく描く方です。友人に誘われて入部したことはしたんですが、部員数が多くて先生にあまり指導してもらえなかったので、すぐにやめちゃいました。子どもには結構難しいんですよ。ストーリーやセリフを考えたり、構図とか4コマのマンガの起承転結を考えたりするのも」
 
 
決して絵が上手い方では無かったと井村さん本人は言う。
 
 
「(絵が凄く上手い子ってクラスに一人はいますよね。休み時間になるとドラえもんやガンダムを描いてもらおうとその子の席の前に行列が出来る。当時はそれが羨ましく思えてね。
卒業文集の扉絵を描くように先生にお願いされたのも、僕ではなくてその子だった」

 
 
でも、画家になりたいという夢はずっと消えなかった。とにかく絵を描くのが好きで、絵画教室には両親の仕事の都合で引っ越しをする中学時代まで通い続けた。
 
 
「今住んでいる富山県にはもともと祖父母が住んでいたのですが、祖父が日本画が好きで画集をたくさん持っていたのです。子どものころ夏休みに遊びにいくとよく見せてもらいました。どんな絵が好きなんだって祖父に訊かれて、小倉遊亀とか片岡珠子、東山魁夷なんて答えていましたね。
小学生のころから日本画家になりたいって思っていました。当時習っていたのは水彩画で、日本画ではなかったのですが。日本画は大学に入ってから学びました。」

 
 
食べていくのが難しいからと画家になることを周りから強く反対され、長い間悩んだが、それでも幼いころからの夢を諦められなかった井村さん。周りより少し遅いスタートだったが、その分、学ぶ喜びは大きかったと言う。
 
 
「周りの環境や時代、自分の気持ちが変わったときにちゃんと変化し対応していける画家になりたい。この先、作風も変わっていくかもしれません。画材が尽きてしまったとしたら、柳の木を切って木炭を作って…それは例えですが、どんなことがあっても絵は描き続けていきたいなと思います」
 
 
井村健太郎にとって“アート”とは?



 
「人の心を動かすこと。そこから生まれる優しさとか愛情とか寛容さを世の中に伝播していくこと。それがアートの役割だと思っています。」
 
 

※注1 瀧口修造 1903年富山県生まれの詩人、美術評論家、画家
※注2 典具帖紙 楮(こうぞ)の良質の繊維で作った薄くて柔らかい和紙。貴重品の包み紙、木版の版下などに利用する。

鳳凰(ほうおう)井村健太郎

  • 制作年2020
  • 技法ミクストメディア
  • サイズ65.2*53cm F15号
  • 額装なし
  • サインなし
  • 特記事項
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買戻し保証
価格110,000円(税込)

紅白梅図井村健太郎

  • 制作年2021
  • 技法ミクストメディア
  • サイズ100×80.3cm F40号
  • 額装なし
  • サインなし
  • 特記事項
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買戻し保証
価格250,000円(税込)

初春の令月にして氣よく風和らぐ井村健太郎

  • 制作年
  • 技法ミクストメディア
  • サイズ53×65.2cm 15号
  • 額装なし
  • サインなし
  • 特記事項
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買戻し保証
価格110,000円(税込)

春の夢井村健太郎

  • 制作年2021
  • 技法ミクストメディア
  • サイズ40×116.7cm 50号変形
  • 額装なし
  • サインなし
  • 特記事項
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買戻し保証
価格220,000円(税込)

春風 井村健太郎

  • 制作年2021
  • 技法ミクストメディア
  • サイズ65.2×53×2cm F15号
  • 額装なし
  • サインなし
  • 特記事項
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買戻し保証
価格110,000円(税込)

虎の子井村健太郎

  • 制作年2021年
  • 技法ミクストメディア
  • サイズ727×530mm P20号
  • 額装なし
  • サインなし
  • 特記事項
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買戻し保証
価格115,500円(税込)
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