平和への願い、戦場の娼婦を描いた
織田正信 1962年2月10日に大阪で生まれる、子供の頃から絵が好きで姉が買ってくる月刊ロードショーに出てくる華やかな俳優ばかり描いていた、 母の勧めにより高校は、金属工芸科を卒業してデザインの専門学校に入り卒展でボールペンを自由に走らせてモーテル街を描き先生に罵倒されるが、その時に自由に走らせる線で描くことを知り、この後の絵を描く上での基板となる、卒業後、広告代理店に入社、結婚を機に不規則なデザイナーの仕事を辞め、不動産業に従事する、 42歳の時、精神を病み働けなくなり、離婚する。 それ以来娘とは音信不通になる。 自殺未遂を繰り返し入退院を余儀なくされた。 54歳のとき別れた嫁が50歳で癌で亡くなり、その寂しさに耐えきれずに。また、入院を余儀なくされ双極性感情障害(発達障害と後日訂正される)と診断される。 悲しみを紛らわせるために、また絵を描き始める、また自由な線と出会うことになる、それをFacebookに投稿しだす。 2019年その投稿を抽象派の新進気鋭画家小川貴一郎に見出されて、小川の勧めにより、大阪の心斎橋のカタリストホテルでART POSHTELS presents HAGEMARU Exhibitionに出展、新進気鋭のアーティスト(田中拓馬等、有名アーティストも数多く出展していた)の中で知名度も全くないのに14枚売り上げ、そのホテルでの展示会の最高額を売り上げる。 2020年、神戸元町歩歩林堂で個展 2020年イタリア、フランスのパリでの展示会に出展。 2021年オーストリアに出展、また、イタリアやアメリカ、オランダからの出展依頼のオファーも受けるが、 2022年ADHDと診断を受け1年半、療養に専念する。 2023年後半から、活動を再開し始める博多のアジアアートフェアに出展した。次ニューヨークタイムズスクエアガーデンに電光展示される。 2024年の個展活動で銀座の個展を予定している。 イギリス、ウォータールー駅でのvirtual展示、ギリシャでは、クレタ島アートフェア、WOCでの、Solo exhibitionのオファーを、ロンドン、ローマを拠点に置くtapropaneからの出展のオファーも受けている、 ヴァン・ゴッホ美術館でパリ、マイアミ、マドリードの3つのアートフェアに参加のオファーを受けるが辞退し休養をしていた。現在に至る.、